いとまのはなし。

大学3年生 20才 金儲け学部。「喧騒に暇を、退屈には毒を」「潔癖な感性で何ができる」

退屈な夢

いつまでも続く平凡で退屈な日々

それを打ち壊せるのは自分だけだ。

なんていう、平凡で退屈な歌詞に踊らされて、

日々平凡で退屈に生きている、

 

たしかに日々は退屈だ。

 

だけど、満たされている。腹も。心も。

これ以上何を望めばいい?

夢なんてない。叶ってる。

飯食って、それなりに笑って、恋人もいて。

これ以上何を望めばいい?

きたい

支えてくれる人の期待に応えたいんだけど、

その期待に応えられるだけのキャパがないときは、

どうしたらいいのか。

 

頑張ってるんだぁ、おれ。

努力を見て欲しくなってしまうのは、

結果を残す自信がないからだ。

 

彼女に甘えたい。甘えまくってる。

無条件に肯定してもらいたくなる。

 

あーだーこーだと講釈をこれまでこのブログで垂れてしまったけど、

結局、うだうだと生を続けていくしかないのかな。

うだつの上がらない日々で、楽しみと煩わしさのバランスをとって、なんとか生きていく。それくらいでいい。それができれば十分。

 

隠し味を入れるかどーか。

てへぺろ〜。

就活から逃れたつもりでいたけれど、よくよく考えれば、院進したとしても、3年後には就活じゃあないか。

 

忘れてた。あー、失念失念っ。てへぺろ

 

しかも、なんか就活の仕組みが来年から変わるらしいじゃあないか。

あー、失念失念っ。

 

もはややる気があるとかないとかの話じゃなく、ただひたすらに現実逃避をしている。

 

提出まであと3日だぜ?

 

なんでFIFA19のプレー動画を5時間もみてたんだい。

 

あー、失念失念っ。

夢見るわたしは美しい。

ただただ、自分で稼いで生活ができるようになりたい。自分の目標は、ただそれだけなのかな、と、最近思うようになった。

 

そんな素朴な目標に、夢だの、人のためだの、なんだの、と、よく分からない漠然とした何かが絡み付いていて、それらが、このさっぱりしないこの気持ちを生んでいる。

 

社会生活を送るには、あまりに天邪鬼で捻くれた性格をしているもので、

みんながやっていることはやりたくないし、やるべき価値があると、自分で思えるようなことがしたい。

だから、力をつけないと。

 

っていう、繋がりだったはず、なのに。

 

社会のために頑張る、とか

人のために頑張る、とか

 

手段が自己目的化してしまう。

何が目標だったんだろう、よく見失う。

 

俺の目標は自分で稼いで生活すること。

ただそれだけ。

 

推薦入試の準備をする中で、否が応でも自分と向き合い続けなきゃいけなくて、その結果出た答え。

 

大学一年の頃からずっと変わってなかった。

自分の生は、自分のためにある。

幸か不幸か

自分が辛いときに、

 

「いやいや、こんなんでしんどいとか何言うてんねん。もっとしんどい人もおるやろ」

「マシな方やろ、大学に通えない人もおるねんから」

「家もあって、ゴハンも食べさせてもらってて、何が不満やねん」

 

とか、自分って恵まれてるよな、ってすぐに思えちゃうタイプ。幸か不幸か。

 

だから、あんま自分に甘えられないし、自分に優しくしてあげられない。

 

だから、最近、無理矢理にでも他の人に褒めてもらうようにしてて。他の人っていうか、まあ、彼女様ですね。助かってます、

 

もー、なんせ褒めてくれ〜

って感じです。

 

それはそうと、最近後輩との絡みが多くて、どう接していいから分からず非常に疲れます。

なんなんすかね、あの距離感。

お前は友達じゃないよ、みたいな。

なんとなくさみしいっすね。

や、まあ、俺が人を寄せ付けない雰囲気を醸し出してるってのなら、ごめんなさい、

「これは相当癖だから今更は治らないぜ」

 

相変わらず人付き合いは苦手だ。

色んなことを察しようとしすぎて勝手に疲れる。

9時くらいに帰ってきてそのままベッド直行で1時まで寝てた。

 

くそー、だめだぁ。文章がイマイチだよ。エモくないよ。戻していきたいなぁ。

逆手にとっていけ

ひたすらに英語の論文を読んでる

 

卒論書くのに頭使い過ぎて、ほかのところでの知能指数がとんでもなく低い。あっぱらぱー。

 

辛いよー、苦しいよー、やだよー。寝たいよー。ジブリ見てたいよぉ。わぁ。

 

とまあ頭の中はこんな感じ。

 

でもね、いま、どんなことを言ってもそれはただの苦労自慢にしかないんすよね。

 

結果を出さなきゃなんの意味もない。

なんとしても大学院に合格しなきゃ。

結果出してナンボ。

 

過程を褒められるのは、失敗してからでいい。

 

プロセスを褒めてほしくなるのは結果を出してないからだ。

褒めてもらえる対象がプロセスしかないときだ。

だから、プロセスが褒められるのは、だいたい、慰めのとき。

 

僕は結果で示したい。

僕は結果で褒められたい。

努力の成果は結果だ。

 

「できる」か「できないか」を自分で決めることはできないけれど、

「やる」か「やらないか」は決められる。

 

さあさあ、「やる」かぁぁ。

匿名希望

「就活生」の話って面白くない

 

面接の服装だの髪型だの業界分析だの自己分析だのなんだの

 

あんたはなにがしたいのさ

社会にどんな価値をもたらしたいのさ、

 

それが見えないから

楽しくない

 

生きていくためのお金を稼ぐために

そのためにいま

嫌だ嫌だと言いながらも

就活してる

 

つまんない仕事も甘受して

仕事終わりにうだうだと酒をあびて

働き続けるのかな

 

そういう生き方を否定はしないし

別に下に見てるわけじゃない

 

けど、俺は無理や

 

自分のやりたいことのためや

人の役に立つためとか

明確な目的があるなら、

嫌なことだってやる。

 

けど、何も考えずに社会に迎合して、

金をもらって、

なんのために働いてるかわからなくなって

夜な夜な文句をいう

 

みたいな生は、

僕は嫌です。

 

なんのために働くか、っていう本質を無視して、

就活、っていう形式、儀式の話ばかりして

クソつまんねえ

そこのあんた。

 

from匿名希望