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はやてのぶろぐやな。

関西在住の大学生の日記。音楽とか。好きな食べ物はきのこ、ほうれん草、肉。にゃあ。

いつかの曇り空。

雑記

気づけば甲子園で活躍する高校球児はみんな年下になってしまった。ただただ憧れていられた頃を懐かしく思うと同時に、大きな事を何ひとつ成し遂げられていない自分と比較して、同世代の活躍にひたすら嫉妬する。

自分はこんなもんじゃない、本気を出せばもっとできる。などという根拠のない自信と拙いプライドも活躍する同世代との歴然とした才能と努力の差を感じ、もろくも崩れ去る。

自分は負けず嫌いだと思ってこれまで過ごしてきたけれど、これは嫉妬以外の何物でもない。最近、そう気づいてしまった。認めたくなかっただけなのかも知れないけれど。きっとそうなんだろう。

負けず嫌いと嫉妬は自分より優れた相手を目の前にして抱く感情だという点では同じだけれど、両者には明確な違いがあって、前者は建設的な行動を伴うが、後者にはそれが伴わない。

あくまで自分は負けず嫌いである。そう言い聞かせてこれまでやってきた。だけど、同級生が自分より良い大学に行っても、そいつが自分より有能である事を認められない。浪人していた同級生が自分では手も足もないような大学進学して、妬ましく思う。自分は自分の道を進んだ。自分なりに出来得る最高の努力はしたつもりだけれど、他人のした努力を自分は体験していない。他人の結果だけをうらやんでいる。結局、自分は嫉妬心の塊である。それに気付いてしまうとやはり少し辛い。

妬ましいと思う気持ちを行動に移せれば、その気持ちは、自分にとってこれ以上ない最高のガソリンになり得る。負けず嫌いは最強だ。天才になれないのならば、現状に満足していないのならば、うらやみ、妬むだけではなくて、せめて、負けず嫌いではいたいと思う。

 

だから、行動がしたい。一度動いてしまえば、俺にはなんだってできる。そんな気がする。

だけど、一生行動できない。俺には何もできない。何者にもなれない。そんな気もする。

 

こんな風に、分かりやすく若者特有のアンビバレントな感情を抱いている自分の無個性さに悲観的になったり、安心したりもする。

それでもやっぱり、周りと同じでは満足できない。俺はまだまだこんなもんじゃあない。

 

僕はまだまだやれるのさ、やれるのさ。

それはまるで、自らに祈るようで。

曇り空 - The SALOVERS

 

他人の行動に口出しするのは自分の人生に満足いっていないからだ。

失格人間ハイジ

 

体調が悪いのにもかかわらず、全く眠れず、頭がぐるぐるしてしまったから、ぬいた。それでも眠れないから勢いでこれを書いた。おかげで少し眠くなってきたから、寝る。おやすみなさい。

大阪弁最高濃度。

雑記

なんか、色々書こうと思うんだけど、500文字も行かないくらいで行き詰まるから、行き詰ってちゃってるーってのをかいてみてる。っていうこの記事も行き詰まりそうだ。とりあえず、最近の身の回りのことについて書いてみる。

 

この頃、彼女が相手をしてくれなくて手持ち無沙汰だ。向こうが忙しいから仕方ないのだけれど、向こうが忙しかしているからこそ、この大学生のクソひまな日常を愚痴るわけにもいかず、かといって彼女の他にさして話をする相手もおらず、大学生の春休みという貴重な時間を持て余しても仕方がないので、去年死ぬほどバイトして貯めた30万で教習に通い始めた。

大阪の教習所なのだが、大阪弁のまあきついこと。いわゆる、コテコテの大阪弁だ。小中高と関西弁で教育を受けてきたけれどここまで濃厚な大阪弁に浸る経験は今までなかった。地方の人は分かるのかな、世代によっても方言は違うもので、大阪では、若年層は比較的クリーンな大阪弁を話す。年齢層が高ければ高いほど濃度も高まっていく。ちなみに大阪弁の言葉の代表格として、よく『〜でんがな』『〜まんがな』口調が挙げられるが、これは大阪弁最高濃度の言葉であり、大阪を良く知らない人はこれらの言葉を大阪人はみな話していると勘違いしている人もいると聞く。だが実は『〜でんがな』『〜まんがな』口調を使いこなす人は絶滅危惧種なのだ。そんな大阪弁の中でも、僕らネイティヴオオサカンニュージェネレイションにとって聞き馴染みのあるか、ないかの境目となるのは30代の人の大阪弁であり、これはまだ僕らの大阪弁に近いので、聞きやすい。

なんやかんやで、今までに通っていた学校には20〜30代の先生も多かったし、そもそも、大阪、関西圏外出身の先生もすくなくなかったので、授業はある程度クリーンな大阪弁、もしくは標準語で行われていた。大学では、全国から学生が来るためだろうが、関西出身の教員も標準語を喋っている。

しかし、あの教習所は違う。20年近く大阪に住んでいても、酔って気分が悪くなりそうなほどの大阪弁濃度。講師はほとんど40代以上。30代の講師もいるが、周りの影響を受け、話すのは濃度高めの大阪弁。僕も関西弁ネイティヴだから言葉は理解できるが、前に立って大声で大阪弁独特のあの抑揚の大きいイントネーションを繰り出されると、頭の中がぐるぐるしてくる。

ところで、関西出身の女優さんがテレビなどで普段は出さない関西弁を話しているのは、微笑ましく、どこか落ち着くので大好きだ。北川景子さん、有村架純さん、高畑充希さん等の関西弁動画はYouTubeで検索して見てニヤニヤするくらいには好きだ。大阪出身の僕には関西弁は基本的には落ち着く響きを持っているはずなのだ。

しかし、何事もやりすぎは禁物で、コテコテ大阪弁の過剰摂取は体調を害する危険があった。

みんなバカ。

雑記

賢い人装ってたって、クールな人だって、みんなのために有益な情報を書いてる人だって、男なら、結局みんなバカだ。

男なら基本あのことしか考えてないのだ。可愛い子がいれば、エロいお姉さんがいれば、考える。

男は結局バカなのだ。

10代20代の盛んな男はすべからく馬鹿なのだ。

ブログなんて書いて個性をアピールしようとしたところで結局ブログに行き着いている時点で無個性なのだ。個性バンバンの軽くクレイジーな人なら、もうすでにブログになんか見切りをつけて、もっとニッチを攻めているだろう。

ここにいるのはみな、同士なのだ。

馬鹿なのだ。

さあ、男子学生よ、

みな、各自好きなあの子の裸を想像するのだ。

それをおかずにねむろう。

 

生きる装飾品

雑記

彼氏彼女との関係を定期的につぶやく人のツイートってスゴイナァ。スゴイトオモウノ。『今日は1ヶ月記念日!(キラッ)』みたいなツイートする人。俺にはできないなぁ。無理だなぁ。ウラヤマシイナア。

どこまで許容範囲とするかは人それぞれだけど、僕としては1年記念日はツイートしたい。それ以外はめんどくさいからヤメテ。

それにそんな毎月毎月やってちゃ、いつかめんどくさくなって、そのめんどくさくなった時が、二人の関係の終わりになってしまいそう。無理して続けるのも違うけど、それまで続けてきたものに区切りを打つのにも勇気が要る。どちらを選択するにしてもストレスになりそう。やっぱめんどくいからヤメテ。

それに、1ヶ月記念日のツイートを見ても、少なくとも俺は、『あーこいつらすぐ別れるなぁ。』なんて思っちゃう。燃え上がってるうちが華だ。楽しめ。そしてアカウントの彼氏彼女と写った写真全部消せ。みんなも思ってそう。そう僕サメテルノ。まあ、俺の1年記念日ツイートにもそう思った人もいるんだろうなぁ。

まー、基本的に、カップルツイートなんてだいたい、こんな可愛いorかっこいい人と付き合ってる俺or私ってやっぱすごいでしょ?っていう自慢でしかないと思う。自覚しております。

それでも、相手に夢中になって彼氏彼女とのツイートしかしない人はイタいながらも、少し、ほんの少し、愛らしい。相手への思いがどうしようもなくなっている感じというか、その自分に酔っちゃってる感じとか、相手のため!とか言いながら結局自分のためだったりとか。ちょっと目をそらしたくなるくらいには痛々しいけど、ちょっとだけ愛らしい。

カップル垢とかつくっちゃってぇ!ひゅーひゅー。理解はできないけど。そして、すぐにトプ画は黒くなる。

カップル垢よりも理解できなくて、可愛らしくもないのは、美男美女カップルの『今日、○○と別れました!』ツイート。

意味分かんない。そんなあっさりみんなに報告できるもんなの?別れって。付き合ってたんなら、お互いのことが嫌いにならないと離れられないくらいの関係を作るもんじゃないの?少なくとも俺はそうなりたい。あんなあっさりツイートされちゃあ、本当に相手のこと好きだったのかなーなんてことを疑っちゃう。それこそ、相手は自分のリア充アピールのための装飾品みたいに見えるよ。あー、そんなことない美男美女カップルも大勢いるんだろうなー。あー、美人な彼女かあ、羨まし…くないもん。

 

友達、後輩のツイートを見て、こんなことを思った土曜の深夜。

 

好きな人には好きとさっさと伝えましょう。

 

以上、私の恋愛観(主にツイートに関して)でした。

星野源『蘇る変態』を読んだ。

今まで本を読んできても、別に長い文章で感想を書きたいと思った事は一度もなかった。書かなくてはいけないんだろうな、という義務の意識で数行の感想をメモすることはあったけれど。

この本については、書いてみたくなった

 

星野源さんの『蘇る変態』を読んだ。

 

源さんの闘病生活のことも描かれてある本だ。

 

当時は『星野源くも膜下出血のため入院。活動休止。』というたった数行の文章としてしか理解をしていなかった。だけど、この本を読むと、当時の状況が生々しく感じられた。

 

強烈な頭痛。診断結果。手術。入院。強烈な頭痛、吐き気。自殺を決意しかけるほどの孤独。回復の兆し。再発。

源さんが体験した地獄が現場を見てもいないのに伝わってくる。本から伝わるものなど、実際の状況の上澄み程度でしかないと思う。だけど、それでも、地獄だと思った。実際に源さんが感じた地獄はどれほどのものか、想像をしようとするだけで胸が痛い。そして、想像はつかない。

 

俺には耐えられない。病人になることも、それを治す人になることも、それを看る人になることも。誰もなる予定は今のところないのだけれど。星野源さんが感じた地獄が、彼らの日常なのだ。

 

それを大切な人の一部として受け入れられる自信がない。俺は逃げ出してしまう。俺にその地獄は見せないでください。笑っている、楽しいところだけをかいつまんで俺に見せてください。俺をずるい人間だと自覚させないでください。

そうでもしないと俺はあなたから逃げてしまう。怖くなる。

 

この本は星野源さんが雑誌『GINZA』に連載していたエッセイをまとめたもので、冒頭の話は貧乳についての話。これが逃げ恥のあの平匡さんなのか、と疑いたくなるほどにエロくて、とてつもなく面白い。

 

その分、後半の闘病のシーンが胸に刺さった。

 

読むだけで辛い。

 

俺には耐えられない。耐えられない分。俺にできることを一生懸命やればいいじゃないか、だのポジティブな言葉は思い浮かぶが、無理だ。ダメだ。辛い。

 

こんな地獄には目をそらしたい。だから、極力目をそらす。できる限り、そらして生きていく。だけど、その地獄の上澄み程度でも、読んで感じたことは残しておきたいと思った。

 

地獄に出会いたくない。現実なんてクソ喰らえ。

 

 

 

蘇える変態

蘇える変態

 

 

人間関係を選ぶとか何様のつもりなんだろう

雑記

 意識高い系の発言とかブログとか本とか読んでるとよく、『人間関係は選びましょう。』ってのがよく出てくる気がする。

 

『自分を高めるためには仕事のできる人と関係を作りましょう。』だの『自分のレベルが上がって合わなくなった友達との縁は切りましょう』だの。

 

  何様のつもりなんだろう。

 

 『人間関係を選ぶ。』って発想自体、僕には『自分は完璧な人間もしくは他とは違う特別な人間なので、その自分と話すに値する人間としか話しませんよ。』っていう宣言に聞こえます。それに、これは何を自分の中の最優先事項にするかの違いからくるんだろうけど、なんか人間関係を金儲けの手段としか考えてないようにも聞こえてしまう。僕はこの考え方はあまり好きじゃない。

 

意識高い系って呼ばれる人達ってその人の中の優先順位が、極論を言ってしまえば、『金儲け>人間関係』なんだと思います。意識高い系風に言えば『自らの成長>人間関係』。人間関係はお金を稼ぐための手段。

 まあ、人それぞれの考え方の違いだけど、僕自身は好きな人とできるだけ長くいて、できるだけおいしいものを食べて、好きな人とできるだけボーッとしていたいです。そのための手段としてお金があるんだと思ってます。

 だから僕の優先順位は『人間関係>金儲け』人間関係のためにお金を稼ぎたい。

 

 ボーッとする時間を長くするために社会にでたら効率よくお金を稼ぎたいです。だから今はただボーッとするんじゃなくて、ちゃんと勉強していろんな経験して、もっと自分を追い込みたいなあと思ってます。

成功しかしてない人よりも、心を何回もボキボキ折られたことのある人の方がたくましく生きていける気がするので。

話がそれた。戻す。

 

 何回も言うけど考え方は人それぞれだと思う。僕みたいな考え方の人もいれば、違う人もいる。僕に危害を加えなきゃ、どんな人がいたって一向に構わない。好き嫌いはあるけど我慢できる。

 

 でも、意識高い系、特に意識高い系(笑)って呼ばれるような人って、自分の考え方が絶対だと思いこんで、その自分の考え方を他人に当てはめて、その人の人間性の『良し悪し』を勝手に判断してると思う。そこに違和感を感じる。何様だ。

 自分の行動の邪魔をしてきたり、足を引っ張ったりするような、自分に危害を加えてくる人との関係は切るべきだけど、自分に危害を加えないような人まで自分の価値観に当てはめて『あいつはダメなヤツだから関わんねえ。』とか言ってるヤツとは仲良くしたくないし仲良くなれる気がしないしこっちから願い下げだバカヤロー。

 

 確かに話してて面白い人もいればクソつまんねえ人もいる。だけど、それは人それぞれの相性。決してその人の人間性の『良し悪し 』じゃない。

 人の人間性の『良し悪し』を勝手に決めて、悪いと判断した人を勝手に見下す。

 これが、意識高い系(笑)なんて言われてしまう原因だと思います。

 

 

読んでいただいてありがとうございます。

こんなのも書いてます。読んでいただけると嬉しいです。

 

hayateyana.hateblo.jp

 

他にもこんなのとか

 

hayateyana.hateblo.jp

 

 

hayateyana.hateblo.jp

 

アルバイトを辞めてみた。

雑記

先日、アルバイトを辞めました。

半年という短い期間ではあったけど、先輩方には本当にお世話になりました。だから、申し訳なさと不甲斐なさで涙が溢れてくる。なんてことは全くなく、むしろそこにあるのは辞めたことへの充実感、満足感。加えて人間関係から脱出したことからの爽快感。

お世話になったのは事実。感謝をしているのも事実。だけど、辞めたことへの罪悪感は一切ない。そう。所詮、アルバイト。学生バイトなのだから。

 

所詮アルバイトととはいえ、労働である以上、何かの付加価値を生み出さなければならない。

沢山仕事ができるようになる。それ即ち、成長。

 

皿を洗うのが早くなって、褒められる。

麺を切るのが早くなって、褒められる。

丼モノを作るのが早くなって、褒められる。

茶碗蒸しを作れるようになって、褒められる。

だし巻き卵を作れるようになって、褒められる。

 

この半年間、先輩方のおかげですごく成長しました。

でも、ここで気づく。俺、料理人になんねえ。心の何かがある日ポキっと折れました。そこからはバイトを辞めたくて辞めたくて。

 

辞めようと決めてからは、辞めたい理由が出てくるわ出てくるわ。

 

いくら、ここで成長をしても、この先俺自身がつくであろう、つきたい職種には直接的には関係がない。成長する気になれない。

店長を見ていて、全く憧れない。むしろああはなりたくないと思う、悪い見本ありがとうございました。

このバイトをして1時間800円900円もらうよりも、家でぼーっとしてる時間の方が愛おしい。

 

以上の理由からアルバイトを辞めました。

 

冒頭にも書いたけど、辞めてすっきりしました。まあ、週6とかでシフトに入ってた俺も悪いんだけど。

アルバイトから学んだことは全くないわけじゃなくて、時間当たりの効率を重視する意識とか、先輩には気に入られた方がいいこととか、そのために趣味の話が手っ取り早いこととか。

それでも、あのバイトにかける1時間と自由にぼーっとできる1時間とを天秤にかけるまでもなく、自由時間を選びました。

 

何が言いたいかというと、アルバイトなんて辞めたきゃやめりゃいいってこと、辞めたところで今のところなんら困ったことはありませんし。まあ、困ったことといえば、収入が少なくなったことぐらいか。掛け持ちでバイトしてたんで今のところ0じゃないですけど。

でも、もし学費の心配がないんなら、そこは親に甘えて、必要以上のお金は大学生は持たなくていいと思います。

 

辞めてしまう自分を責めなくてもいい。むしろ、自分をやめさせるような店側の人材管理のせいだと思いましょう。バイトに大した責任はないです。学生の本分は勉強である。この言い訳に甘えて学生の特権を行使して辞めてしまいましょう。学生バイトに責任を押し付けるような人間は大した人間じゃないです。

 

甘えたこと言ってんなとか大人の方には言われそうですが、そんなの知るか。俺は学生だ。親のスネをかじって大学行ってる大学生だ。何か文句あるか。学生だから学生らしく大した責任もなく、好き勝手やってやるのだ。死ぬほど大学楽しんでやるのだ。見ていろ大人たち。若い力を見くびるなぁ。p.s.法は犯したくないです。